2020/07/13
高校の同級生H君。無宗教者の小生でも「天国があるとすればH君は必ず行ける」と思える性格(人格)の持ち主でした。
誠に残念ながらH君は、8時時間以上の検査に耐え、10時間以上かかる手術を乗り切るも治らず。。今は天国でなにをしていることやら。
10時間以上の手術を終え個室に戻ったH君の顔をのぞきに行くと。術直後で、体もしんどく、また手術もうまくいかず再手術が必要と知っているH君が奥さまに発した言葉
「原田が今日も見舞いに来てくれたんだよ」
「今原田がいい病院探していて、転院の手配してくれるんだよ」
なくなって何年もたつのに、その時の情景と声を忘れられません。
体も、精神もしんどい状態でも「してくれる」「やってくれる}「感謝のきもち」を持ち続けられる。なんと崇高な精神の持ち主のH君。
小生の周り(小生も含め)では、「できた事」「やってもらったこと」は「当たり前」と判断し。「できなかったこと」「してくれなかったこと」ばかり山のように積み重ねて、「自分はなんて不幸、不憫なんだろう」と「常に不平、不満をふくらませる」方々が多くみられます。
H君のように「できた事」「やってもらったこと」を「当たり前と思わず」に常に「感謝のきもちをもつ」ことができれば「今すぐにでも・・・・・・」なのに、と。